父親そして自分

今日はまさかの16:30起き。
マジで反省ということでこれを書いたら即寝ることに。


この頃、自分のキャリアプランについて考えることが
1日の大半になっているが、
どうしても父親の人生についても考えてします。

父親は、福岡で30年以上レコード屋を営んでいる。
自分の趣味を仕事にしてきた。

中1の時から父親との別居が始って、仕事をしている姿なんて見たことが無いが、よく考えるとすごいことである。
今では、テレビや新聞の地元・地域欄で福岡のロックについて特集が組まれると良く出ている。
福岡ロック界の生き字引的な存在らしい。

長い間父親を拒絶し、距離を置いていたが、
これだけ功績を残した父親を誇りに思うし、
また今頃になって気づいた自分が情けなく思う。

この頃思うのは、自分の愚かさと視野の狭さだ。
一般家庭の様な父親がサラリーマンではないことも影響して小さい頃はみんなと同じ様な名前で同じようなテレビ番組をみて、同じような話題で盛り上がりたいと、みんなと同じがいいと思ってきた。
ただ、そこには自分自身の主張や意見はなく、周りの人に合わせながら生きてきた。

父親の仕事も自信を持っていえず、兄弟についてもいえず常に身内な対してコンプレックスをもって生きてきた。
そのため、自分がみんなに近づこうとみんなに認めてもらおうとして努力をし、勉強で成果を出し、逆境を乗り越えようとしてきた。
ただ、そうすればそうするほどいけばいくほど勝手に自分の中で理想像を掲げ
周りの環境に物怖じし、自分で壁をつくり、思うように自分のプライベートなことを言い出せなかった。


ただ、大学の友達やバイトの人のバックグラウンドを
聞くと、
いかに今まで自分が自己陶酔的に自分を卑下し、
殻をつくり、上っ面な付き合いをしてきたがわかる。


自分を所属している組織、集団、環境に従属し、
没個性的な生き方は、今までの日本では通用したかもしれない。
ただ、変化の激しい現在の世界では
自己を主張し、軸をもち、根をはやさなければその濁流に飲まれてしまう。


そうした確立された自己があってこそ、集団は強くなると思う。



1000年に1度の地震がこのタイミングで起き、
自分について深く考えることができたのは、
誤解を恐れず言えば、幸運だったのかもしれない。